高田由紀子の作品解説

私の作品のルーツは古典書道にあります。

書道とは、元来伝達手法として筆で文字を書くという実用的な行為だったものが、文化が進むにつれその文字自体を美しく書くという行為に変わっていき、その美化されたものを書というようになりました。
書は中国を発祥とし、漢字を使う国を中心として発展してきた文化です。その文化は中国、韓国、ベトナム、そして日本に広まりました。
日本でいう書は、漢字・かな(ひらがな)を、墨と筆で和紙に書く行為を称していいます。

さて、私の作品のルーツは古典書道にあるといいました。
書を始める人はまず、古典書道を学びます。私も、王羲之や顔真卿などの古典をまず学び始めました。
文字の成り立ちから、技法、文字の表現手法を過去の作品を臨書(手本通りに書き写すこと)により文字そのものの書き方を学ぶのです。書家は文字そのものの形をまず学び、文字そのものを書くことができてから自己表現に入ることができないのです。
私はもともと漢字作品をメインに発表していました。
漢字は画数も多く、楷書・行書・草書その他多数の字体を有しているのでさまざまな表現をすることができます。私はその表現の多さに魅せられ大きな和紙に一文字・二文字程度の漢字を大胆に書いた作品や漢詩という28文字の美しい節をもった漢字の詩を制作していました。
むしろかな(ひらがな)は、女性的で弱弱しくあまり好んで書くことはありませんでしたし、かな作品をつくることも苦手としていました。
※注 かなは日本独自の文化で、「源氏物語」などにみられる女性文学を発祥とされていました。
また、漢字はその一文字自体に意味をもっていますが、かな単体は音のみで、かながつながらないと言葉として意味をもつことはなく、そういうところも個人的に弱弱しいと感じてしまい、表現手法として自分の中ではあまり良いものとは思いませんでした。

しかし、以前は意味のある漢字を自分の筆跡をもって書くことで作品にしてきましたが、漢字作品を創り続けていくにつれ、文字単体に意味があるために意味をなぞっているだけで自己の表現などないのではないかという気がしてきたのです。表音文字ではなく、表意文字であればあるほど、文字の力が強すぎて自分の書く文字はただ単に紙の上を墨でなぞっているだけで、そこに自分の表現など何も持たないのだと感じ始めました。
そこで、単純な文字形でありさらに意味をもたない文字を使い表現してみることにしました。
文字の形はなんでも良かったのですが、できれば形にヴァリエーションをもたせることのできる「の」を選びました。はじめは「の」の文字を筆で紙に書いて練習していっただけなのですが、100枚、200枚書いても、1000回2000回書いても全く同じ形で仕上がることがなく、すべてにおいて違う文字として見えてきました。おそらく気をつけて機械的に書くと同じ文字が出来上がるのでしょうが、ただ単純に文字を紙に書きすすめていっても全くと言って同じものが出来上がらないことに驚きを覚えました。そこには書くスピード、書いている時の私の感情、磨った墨の具合、筆の堅さ、紙の厚さ、それらすべてが合わさった筆跡から個々の個体となって私には見えたのです。
それらは第三者から見たら全く同じもののように見えるかもしれません。人によっては違うものに見えるかもしれません。

「自分が思う強い個性、はたから見ればだいたい同じ『の』」

と感じるようになりました。それは日々私が今を生きてきて感じていることであります。自分の生き方、感じ方、そこから生まれる強い個性が実ははたから見れば第三者の人生にすぎない。しかしそこには確実に一人の人間が在るというのです。

「の」という音しか持たず、つながっても意味をもたない、文字としては力のないものでも、筆跡をもてばそれで表現できるのではないかと思いました。文字単体に個性をもたせることにより、その個々が集まることにより意味をもたせて表現できると確信しました。
それは外国の音楽などで歌詞の意味が分からないが音楽を聴くと明るい音楽なのか暗い音楽なのかが分かるように、文字の意味が分からなくてもその文字の書き始めから書き終わりの文字の筆跡で書きたいことを伝えられるのではないかと感じます。それは意味のある漢字(たとえば「愛」という感じを書いたらLOVEと認識できる)一文字を書くより断然強いものになるのではないかと信じています。

人は言葉を書いて何かを伝えるとき、書き始めから書き終わりまで無意識であり、書き終わってから初めてその文字群に意味や目的を持ち始めます。そしてその書き終わった言葉、文章を用いて人へ伝えていきます。
高田の「の」の作品も同じものと思って下さい。
元来の書同様、書き始めてから書き終わるまでに色んな感情をもって、何か伝えたい言葉を書き連ねています。「の」だけなので、字が上手いか下手か、どういった意味なのか伝わりづらいです。日本語を母国語とする人や日本語を勉強している人は、「の」と読めてしまいます。外国の方は「の」という音を「no」ととらえて否定的な意味としてとらえてしまうかもしれません。しかし文字単体とその筆跡から文字自体を受け止めてみて下さい。

出来上がった文字群の筆跡を見て、筆跡全体からそれらを感じ取っていただければ幸いです。






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